Piacharm
Music Museum®

~音が語る歴史~

「音が語る歴史 Vol.3」について

今回のPiacharm Music Museum®では、18世紀から19世紀のウィーンにおいてほぼ同時期に活動していた、2人の音楽家・作曲家の人生を辿ってみたいと思います。

オーストリアの首都ウィーン。18世紀のウィーンは音楽の聖地として崇められ多くの音楽家がウィーンを活動の拠点としていました。この頃のオーストリアは他の欧州の国々と同様、貴族中心の時代であり、音楽家という職業も貴族がいないと成り立たない職業であったと言えます。

しかしながら、貴族中心の時代は18世紀後半にフランスで発生したフランス革命を契機に徐々に終焉に向かっていきます。貴族ありきで成り立っていた音楽家という職業も、この革命で少なくない影響を受けることになります。

この時代のウィーンの中で、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンとフランツ・シューベルトという2人の偉大な音楽家はお互いを少なからず意識しつつも、それぞれの音楽家としての人生を歩んで行きます。

2人がそれぞれどんな人生を送ったのか、想像をしながら演奏をお聴きいただけますと幸いです。

プログラム

  1. ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第5番ヘ長調「春」作品24/ ベートーヴェン
     Sonata No.5 for Violin & Piano in F major Op.24 “Spring” /Beethoven

  2. ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番イ短調D385/ シューベルト
     Sonata No.2 for Violin & Piano in A minor D385/ Schubert

「歴史探索のためのキーワード」

1.18世紀のオーストリア

18世紀のオーストリアは欧州の他の列強国と比べて国力が大きく後進していた。軍事力が不足している上に、民からの租税収入も十分で無かった。常に戦争が隣り合わせであった状況下、非常に危険な状態であったと言える。

軍事力の強化を急ぎたいオーストリア王政は、恒常的で安定した租税収入の確保が最優先であると考え、貴族達の免税特権の廃止や貴族達の力の源泉であり農民達からの租税収入を阻む要因であった農奴制の廃止などを行った。

この結果、農民には、職業選択や結婚の自由、強制的な奉公の廃止、土地を保有する権利など、多くの自由と権利が与えられた。

2.フランス革命

イギリスとの度々の戦争の影響もあり経済面で困窮していたフランスでは、王政、貴族、平民それぞれが複雑な事情を抱えていた。

平民達は厳しい税負担に苦しめられていた上、小麦の不作でパンが値上がりし、生活に困窮していた。王政は国力回復のために租税能力を高めようと、貴族達の免税特権の廃止を画策していた。貴族達は当然これに反発し、王政と貴族達は対立関係にあった。

自分たちの権利を主張する平民の声に対して、一部の貴族が同調をし始めると、フランス王政が武力でこの声を弾圧する、という噂がパリで流れ始める。

フランス中が緊迫した状況の中で、民衆が武器を求め圧政の象徴であったバスティーユ牢獄を襲撃したことを契機にフランス革命は始まった。

後にフランスだけでなく欧州中に影響を及ぼすことになるこの革命の結果、王政・貴族中心のフランスの古い制度が廃止され、市民層が政治的発言力を確立することとなった。

3.フランツ・シューベルト

1797年生まれの作曲家であり、31歳という若さでこの世を去る。

シューベルトが生きた時代のウィーンでは、作曲だけで生活している人間は皆無であった。音楽家としては裕福であったベートーヴェンでさえ、作曲活動に加え、演奏や指揮者としての活動も行っていたようである。

そんなウィーンの中でシューベルトは純粋な作曲家になることを目指していた。優に千を超える作品を生み出したシューベルトだが、生前出版された曲はそれほど多くなく、ほとんどの作品はシューベルトの死後、発見され出版された。

才能あふれる不幸なこの大作曲家の作品は、彼の死後、多くの芸術家、音楽家に影響を与えることとなる。

4.シューベルト家と父親

元々農業と牧畜を営んでいたシューベルト家は、住んでいた地区の住民達から厚い信頼を得ており、フランツ・シューベルトの祖父であるカールは地区の裁判官に選出されるほどであった。

カールは息子達にも文化的で真面目な職業に就いてもらいたいと願っており、そんなカールの影響で、シューベルトの父であるテオドールは教員の道へ進んだ。

テオドールはシューベルトにも教員の道へ進んで欲しいと強く望んでいたが、それはシューベルト家が周囲から得ている信頼を裏切るわけにはいかない、という家訓とも言える祖父の考えが強く影響していたようである。

5.母が部屋を通り過ぎる 作曲:フランツ・シューベルト

フランツ・シューベルトは1812年、彼が15歳の時に母親を亡くしている。その後、父は再婚をする。 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番が作曲される2ヶ月前(1816年)に作曲した題名の無い歌曲の詩を紹介する。


ドイツ語

Mutter geht durch ihre Kammern, räumt die Schränke ein und aus, sucht, und weiss nicht was, mit Jammern, findet nichts als leeres Haus. Leeres Haus! O Wort der Klage, dem, der einst ein holdes Kind drin gegängelt hat am Tage, dringe gewiegt in Nächten lind.


日本語

母が部屋を通り過ぎる。 棚の物を出し、片づけ、探し そして何もわからない、と悲しそうに ただ空っぽの家を見ている。
空っぽの家! ああ、なんと悲しい言葉。
かつてそこで愛くるしい子のため世話した日々。ゆりかごを優しく揺すった夜。