ショパンのイギリス訪問について~孤独の中のショパンと、パリの危険な政情

ショパンのイギリス訪問について~孤独の中のショパンと、パリの危険な政情

ショパンのイギリス訪問について

こんにちは。

新型コロナウイルスにより先の見えない状況が続いております。少しでも早く事態が収束に向かうことを願いつつも、こんな時だからこそ、音楽を通じて何かしら前向きな気持ちになってもらうことができないだろうか、と思い悩む毎日を過ごしております。

さて、先月、勉強も兼ねてイギリスへ出張に行って参りました。

Piacharmでは、5月に再び「ショパン展」を船橋にて開催予定ですが、ショパンも晩年、演奏と作曲活動を目的にイギリスを訪れています。

イギリス滞在中は、ショパンに思いを馳せる時間も多くありました。

そこで、ショパンのイギリスでの生活について少し書いてみようと思います。

Chopin Episode Vol.6 孤独の中のショパンと、パリの危険な政情 

1847年、38歳になったショパンですが、パリでの生活は孤独に満ちていました。

故郷ポーランドにいる家族とは全く会う機会が持てず、親しい友人も次々と亡くなってしまいました。

元々孤独に弱い体質だったショパンにとって、独りでの生活は精神的にも悪影響を及ぼしており、作曲活動は全くと言ってもいいほど、進んでいませんでした。

この頃に残されているエピソードとして、こんなものがあります。ショパンは、パリにあるポーランド人亡命者の集うサロンに頻繁に通っており、ときにはダンスの伴奏まで引き受け、まるで我を忘れたかのように延々と弾き続けていた、と…。ショパンは自分の孤独をなんとか打ち消そうとしていたのでしょうか。

さらに、パリの政情は非常に不安定でした。1848年2月22日には『二月革命』が起こり、三日後にはルイ・フィリップ王政が倒れ、共和政の臨時政府が樹立されています。この混乱によって、音楽家や画家などの芸術家は一挙に仕事を失い、ショパンも例外ではありませんでした。

パリで二月革命が起こるや否や、ショパンに熱心にイギリス訪問を勧めてきた女性がいました。弟子の一人であり、ショパンの熱烈なファンであり、6歳年長のジェイン・スターリングというスコットランド人女性です。彼女はイギリスでは大変由緒ある家柄の出身でした。彼女は自分の持つコネクションを使って、イギリスでショパンをスターにしたいと考えていたようです。

彼女はショパンに、いつ何時騒動が起こるか分からぬ危険なパリよりも、イギリスに渡った方がずっと安心して活動ができると説得します。生活の不安を抱え、また孤独に押しつぶされそうだったショパンは即座にこれに同意しました。

こうして、ショパンの初めてのイギリス訪問が決定し、彼は1848年4月20日、ロンドンに到着します。

しかしこの旅行は結果的に、ショパンの人生の時計の針を大きく進めることになるのでした。

次回の記事は、ロンドンでの活躍についてです。

最後までピアチャームブログをお読みいただき、ありがとうございました。

2020年5月10日「ショパン展」の詳細はこちらから

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