Chopin Episode Vol.7 ショパンのイギリス訪問~ロンドンでの生活1
1848年4月20日にロンドンに到着したショパン。ロンドンの社交界に出入りし、女王陛下をはじめとする大勢の高貴な人々と知り合いになります。そして6月、7月の2度にわたりリサイタルを行い、大成功を収めます。しかし、異国の地での慣れない生活、言葉の壁(ショパンは英語を話しませんでした)、更にお金と健康への不安から、彼の精神状態は不安定になっていきます。
ロンドンでの生活ぶりや、コンサート、そして社交界を奔走するショパンの様子について、二回に分けて書いてみたいと思います。
第一回は、以下の3つです。
① ロンドンでの一日
② ロンドンで住んだ豪華な部屋と、節約生活
③ フィルハーモニック協会からの依頼、しかし…。
① ロンドンでの一日
ショパンのロンドンでの一日は、朝8時から始まりました。朝食を済ませ身支度を整え、10時からは次から次へと来訪客がやってきます。そして13時頃から2~3人のレッスンをし、その後夕方から夜遅くまで、社交界の様々な場所を訪問したり、夜会に出かけていました。ロンドンに来てしばらくの間は、社交界での知り合いを増やしコンサート開催に繋げるために、そういった社交が必要だったのです。夜会の無い時には、ショパンをイギリスに招いた、彼の弟子であるジェーン・スターリングといつも食事を共にしていました。
また、ショパンはチョコレート・ドリンクを飲むのが習慣でしたが、それもジェーンが欠かさず用意してくれましたし、彼が使っていた特別な便箋(ショパンの頭文字であるCが3つ組み合わせられた文字が印刷されたもの)の準備までしてありました。ジェーンはショパンに非常に親切にしてくれ、ショパンもそれに対し心から感謝していたのは確かですが、時には自分をそっとしておいてほしいと思うこともあったようです。
② ロンドンで住んだ豪華な部屋と、節約生活
ショパンは、「自分はロンドンで一番立派な部屋に住んでいます」と言っています。大きな応接間には3台ものグランドピアノが置いてあり、素晴らしい階段まで付いていました。そんな立派な部屋を借りていたのには理由がありました。社交界の人々の来訪やレッスンが毎日のようにあるからです。社交界で頭角を現すには、まず自分自身が上品で洗練されていることが必要不可欠でした。
しかしこの部屋の家賃は非常に高く(週10ギニー*)、ショパンの生活は徐々に圧迫されていきます。(*ギニーは金貨。1ギニー=21シリング=1.05ポンド。当時の1ポンドは、日本円の現在の価値で5万円ほどだったそうです)
そこで、ショパンはできる限りの節約を試みます。例えば、パリでは自分専用の馬車で社交界のサロンに通っていましたが、ロンドンでは一般の乗合馬車を使う、などでした。また、安定した収入を得るために、彼は週5日、ほぼ毎日2~3人の個人レッスンを取っており、料金は1回1ギニーと決めていたようです。それでも家賃の支払いと日々の生活でいっぱいいっぱいですね…!
③ フィルハーモニック協会からの依頼、しかし…。
ロンドンで一番大きなコンサートホールを有するフィルハーモニック協会から、オーケストラとの共演の依頼が舞い込み、これはショパンにとっても大きなチャンスのはずでした。ただ、協会が出してきた条件は、オーケストラとのリハーサルは1回のみ(それも公開リハーサル)というものでした。それでは良いものが出来るわけがない、とショパンはその申し出を断ります。
しかし本音は、ショパンはそのオーケストラの演奏が気に入らなかったのでした。彼は、「あのオーケストラは、彼らのローストビーフかタートル・スープみたいなもので、強烈で盛りだくさんだが、それだけのことだ。*」と言っています。*出典:アーサー,ヘドレイ編(2003)『ショパンの手紙〈新装復刊〉』、(小松雄一郎訳)、白水社、433ページ
次回は「ロンドンでの生活2」に続きます。
最後までピアチャームブログをお読みいただき、ありがとうございました!