Chopin Episode Vol.8 ショパンのイギリス訪問~ロンドンでの生活2
こんにちは。前回に引き続き、ショパンのロンドンでの生活について書かせていただきます。
パリからロンドンに一時的に活動拠点を移したショパン。ロンドンとパリとでは貴族達の音楽に対する捉え方が大きく違ったようで、最初のコンサートを開くまで、大変な苦労をしたようです。
今回はそんなショパンの苦労を書きたいと思います。
④社交界を奔走するショパン
パリの社交界で人気を誇っていたショパンでしたが、ロンドンでの知名度はほぼゼロ。新たにコネクションを築き上げなければなりませんでした。しかし、ロンドンでのコネクション作りはそれほど容易では無かったようです。
イギリスに招いてくれた弟子ジェーンとともに、ショパンは、馬車を使ってロンドン中を駆け回る日々を送っていました。昼間には多くの貴族達の元を訪問し、夜は遅くまで夜会に出席する。1人でも多くの貴族に気に入られなくてはならない、そんな大きなプレッシャの中、一日に3~4時間も馬車に揺さぶられる毎日。
長年結核を患っているショパンにとって、それは苦痛とも言えるほど精神的にも体力的にも負担が大きかったようです。ショパンの体力はほぼ限界に達していました。ショパンは「自分は生きているより死んでいるという方が近いくらいなのに、彼女はロンドン中の知り合いを僕に訪ねさせたいようだ…」と洩らしています。
そのように体力が限界に近い状況にも関わらず、ロンドン中を走り回らなければならなかった理由としては、ライバルの数が想像よりも多かったことと、イギリスとパリの貴族達の間で音楽に対する考え方が大きく違ったこと、この2点が大きかったようです。
二月革命の影響で活動ができなくなったパリのピアニストの多くがロンドンに来ており、ライバルの数は増える一方でした。また、この頃のロンドンの社交界では音楽が付き物で、食事やイベント、あらゆる催しの中で当たり前のように音楽が生演奏されていました。貴族達は常時、無理やりのように、音楽を聴かされていたので、音楽の良し悪しは彼らにとってはどうでも良いことだったようです。
ロンドンには音楽家が山のように溢れていた上に音楽に対する情熱も強くなかったためか、「みんなごちゃ混ぜになり埋もれてしまう…」とショパンは嘆いています。
そんなロンドンの環境下、大変な苦労が功を奏し、ショパンは訪問から2か月後、女王陛下をはじめとした社交界の貴族達を前に演奏するチャンスを手にします。演奏会を無事成功させたショパンは、貴族達の後押しで、ようやく、ロンドンで最初のコンサートを開催させることに成功したのです。
最後までピアチャームブログをお読みいただき、ありがとうございました。ショパンのロンドンでの生活は2回で終了するはずでしたが、予想以上に長くなったのであと1回お届けします。
次回は、⑤ロンドンでのコンサートの成功とスコットランドへの旅立ち です。